奇跡は向き合う人にだけ。

December 28, 2017

 

2017年がそろそろ終わりますね。

毎日色々なニュースが流れてきます。

 

異常なニュースとして討論されているひとつに“17年間の娘の監禁凍死事件”がありますね。

コメンテーターの言葉で

「両親に対してとても理解に苦しむ、どうゆう思いなのか」

と言っていました。

本当にすごく悲しい虚しい事件だと思います。

でも、なんとなく、微かに私は理解できる部分もあります。

 

親が親になりきれなかったのだと思います。

きっと人生の流れを信じられなかったんだと思います。

自分を受け止められなかったんだと思います。

自信がなかったんだと思います。

完璧主義ゆえのプライドだったんだと思います。

 

そういった思いから、人には、外部には頼れなかったのではないか、どうにか自分で立て直そうと、そしてその先には奇跡が起きて何かが許されて最後は自身が報われると妄想していたのではないでしょうか。

 

…そういう気持ちや想いは必ず子どもは受け取る。

だから暴れたんだと思います。

だから家族に乱を起こしたはずだったし、そこがチャンスではなかったのか、

親が親になり子が子として成長する「家族」を強くするための。

 

私は、奇跡というのは向き合った人にだけ訪れるものだと思っています。

そして、用意された、または自身が描いたシナリオにアドリブを楽しむことが生活であり365日ではないかと考えています。

昔からではない、段々とそうなりました。

 

これは個人的な感情でものを言っていますが、

私もたくさんの感情や家族のあり方の中で過ごしてきました。

家族って、家族だけでは作れない。生まれない。

これは身をもって感じてきました。

 

親は急に親ではないし、子は思っている以上に大人である。

 

よく色々な本にも「自分を愛しなさい」などと言ったキーワレーズがあります。

人生のアドリブには「愛」を持つか「攻」として受け止めるかでかなりその道が変わってきます。つまりキャパシティってやつです。

自分を愛すことは自分を諦めないことであり、だから負のアドリブが向かってきても

「私なら大丈夫」と向き合うことができるはずです。

じゃあどうしたら自分を愛せるのか。。。

 

人に会うことです。

 

…今現在で私が感じたことはこれです。

自分の中には自分はいない、家族や第三者と出会って初めて自分になる気がします。

そしてその中に「嬉しい」を探すんです。

嬉しいは必ずいつか返したくなる。その繰り返しは愛になると思います。

 

人の出会いはどこにでもある、今はSNS上にも。きっかけはネットでも十分。

でも対面しなきゃダメです。話さなくても空気を感じなきゃダメです。

 

「自分を愛しなさい」ではなく「自分を愛する勇気を持ちなさい」

365日に期待できる権利は誰にでもあるって、人のモノサシではなく、自身のモノサシを掲げろ!って思えるとね、きっと「勇気」って言葉も脅迫概念にはならないと思うのです。

勇気もあなたの権利です。

 

私は「麻実」とかいてアサミと読みます。

自分の名前と字がとても好きです。

 

麻のように強く実りある生き方がしたいから、

こんなこと言っていつもドキドキしながら人に会いに行きます。

 

asamicro

 

 

 

 

 

 

Please reload

特集記事

I'm busy working on my blog posts. Watch this space!

Please reload

最新記事

September 20, 2019

September 9, 2019

Please reload

アーカイブ
Please reload

タグから検索